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えでゅけーる

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*しょっぷのお仕事について*
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 10月になった。19日から再放送が始まるのでウキウキしている某昔ばなしだけど、ファンとして一つ気がかりなことがあった。怖い話や哀しい話の扱いだ。元々が25年以上前の番組、今と視聴者や製作者の感じ方や考え方、世の中の動きが違ったということは勿論あるとは思う。でも、最近ちょっと過敏じゃないかなと思うのと同時に、そんなに次の世代を温室育ち、ぬるま湯育ちにさせたいのかなと思うことがある。

 全部で1400話以上作られ、放送された話の中には、勿論怖い話も哀しい話も、救いの無い話も沢山あった。あおりを初め、あの番組のお世話になった世代はそれらに触れて育ってきている。
 確かにトラウマ的な内容の話もあった。未だにあおりがガイコツが苦手なのは間違いなくあれで放送された『松山の洞窟』という話の所為だ。でも、少なくともあおりはそれを恨んではいない。恨む筋合いではないからだ。寧ろ感謝すらしている。
 何でかといえば、「怖い」という感情を教えてくれたからだ。画面が見られないほどの怖さ。でも何度も見たいと思った怖さ。そして見たくはあるけれど、自分で体験したいとはとても思わなかった怖さ。

「怖い」という感情を知るのは人間としてとても大事だと思う。生きていくうえで一番恐ろしく、タチが悪いのは「怖いもの知らず」という部類の人間だろうと思う。「怖い」という感情は、人間が自分の命を守る自己防衛本能を掻き立てられる一つのスイッチだ。
「怖い」「イヤだ」「哀しい」「辛い」……
 そのどれも確かに負の感情ではあるだろうけれど、それがあるから、それが分かっているから、「楽しい」「嬉しい」「幸せだ」という感情だって分かるのだ。どっちかだけで感情が完成されるなんてことは絶対に有り得ない。

 ホラーなシーンやモノを見せるなとか、それを見ること自体が問題でもあるかのように昨今では言われる。でもそれはちょっと違うんじゃないかな。一番問題なのは、それを見ても「怖い」とか「イヤだなぁ」とか「自分では体験したくないなぁ」と思えないことなんじゃなかろうか。
 そういうのを見て、「自分でもやってみようかなぁ」なんて思ってしまうからいけないんでしょう?でも、それって決して自然な情動ではないと思う。本来、「恐怖」というのは不快情動を誘発するもののはずで、自然な成り行きで働けばそれにわざわざ向かおうという気にはならないはずなのだから。

 じゃあなんで、ホラー映画やグロテスクなゲームを見たりしたりしてそっちに向かおうという気持ちになるのか。単純にそれが「不快だ」という感情が起こらないからだろうと思う。そして、もっといえば、不快だと思うように教育されていないから。
 子どもというのは感情の起伏も感受性も敏感で豊かだ。だからこそ、「怖い」というのはどういう感覚で、どれだけイヤで辛くて、まして他者にそれを強いるなんてことがどれだけ過酷なことかを感じさせる必要があるんじゃないかと思う。
 勿論、嬉しさや喜びや幸せも同じこと。どの感情もバランスよく育んでいかないと。プラスだけとことんやりゃあいいってもんではない。

 放送倫理関係のBPOは有名だが、そこに寄せられた苦情というか意見の中に、19日から放送が開始される某昔ばなしに関して、「復活するのはいいことだが、怖い話は子どものトラウマになるので避けて放送してくれることが望ましい」という意見を出していた26歳の投稿者が居た。あおりとほぼ同年代。何だか情けなくなる。一つの意見として、多分出てくるだろうなぁと密かに危惧はしていた。でもこうあっさりと出てきてしまうと何だかな……

 そんなに温室で育てたいのなら、自分の子どもには見せなきゃいいでしょう?その人に子どもが居るかは別にして。

 人間を含めた生き物を殺すなどの描写が快楽的に描かれていることなんてないよ、あの番組は。大抵、恐ろしく、不快で、その後味が決していいものになることはない。でもそういうものでしょう?だからさせたくないんでしょう?だったら早いうちに「イヤなものなんだ」というのを鮮明に感得させるのが一番効果的だと思うけどな、あおりは。
 少なくともあおりはそうやって育ってきた。勿論あの番組だけによるものではなくてね。録画してくれていた祖父母との生活の中でもそれを感じながら育ち、生きてきた。

 大切にしていたものと別れるのは辛い。寂しい。自分の手で壊してしまった時にはとても恐ろしく、辛く、切なく、申し訳ないと思う。でもそれは、そういうものから隔絶されて生まれ育まれた感情では決して無い。寧ろそれに接してきたから逆の現象が幸せで嬉しくて楽しいものだと知ってきたし、その現象を自分から引き起こすのがどれだけ怖いことかを感じてきた。

 第一、

 もったいないお化けがトラウマになることのどこが悪い

今のガキどもの前に一番出てほしい化け物の筆頭ですよ。もったいないお化け。


 それからもう一つ。
 そのBPOの投書ページに、「料理番組でどじょうの唐揚げや柳川鍋をやってて、生きたままのどじょうを料理するのが残酷すぎたのが倫理的にどうかと思う。子どもたちも可哀相……気持ち悪い……と言って部屋を出て行ってしまった。生き物としての食材の尊厳を……云々
 というのがあったんですけれども……

 一つ言おう。

 モノを食べるというのは本来残酷なものです。
 でもそうしないと生きていけない。
 だから「(命を)いただきます」と手を合わせるのです


 大体ねぇ、そのお子さんたちが「可哀相」などと思うことの何がいけないんですか。立派なことですよ。でもそうやって料理されたものをせめて美味しく頂くのが食材となってくれたどじょうさんへの礼儀なんですよ。野菜さんだってお肉さんだってそうなんですよ。
 てやんでぇです。
 それより何より「不味い」とかと言って料理を残すことの方がよっぽど酷いとあおりは思いますけれどもね。礼儀知らずもいいところでしょう。もし本当に子どものためを思うのだったら、テレビに怒る前に自分の子どもの食べ残しを怒りなされ(もししてたら)

 どじょうさんに限らず、スーパーで売ってるお魚さんやお肉さんの切り身はね、元々はもっと大きな生き物だったんですよ。どじょうさんはたまたま体が小さいからそのまま食べられたりするだけで。でもそれが美味しく健康的に人間の体に恵みをもたらしてくれるならそれが一番なんですよ。

 アタシャ、柳川鍋が放送されることよりも、切り身の魚が海で泳いでるもんなんだと、それが自然なんだと思う子どもが増える方がよっぽど恐怖です。(居るらしいんだよね、あの切り身が魚の本来の姿だと思っとるヤツが)
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 テレビであっていた『タモリのジャポニカロゴズ』という番組、あおりは初めてその存在を知ったのだけど、どうやら放送自体は3回目らしく、1月と4月にあっていたらしい。そして10月からは火曜23時からのレギュラー番組になるみたい。日本語啓発方面のバラエティとして、こういう番組は好きなので嬉しい限り。

 正しく美しい日本語の使い方も勿論だけど、場面に応じて適切なコミュニケーションをとるための(礼儀も含めた)日本語の使い方を啓蒙してくれるのは嬉しいこと。番組では大人ロゴスと言っていたけど。でも実際、問いとして突きつけられるとどう言葉を選んで返すべきなのか、パっとは思い浮かばないもので、正解が出ると、ああ、あれでいいのかとなるものも多かった。
 新明解国語辞典はあおりは根っからの愛好者だから取り上げられると楽しいし嬉しいものです。やっぱりあの辞書はいい読み物だと思いますよ。久しぶりに新しく楽しい単語や用例を探してみようかという気分になりました(笑)

 1月と4月の放送を見ていないので既に紹介されたかどうかは知らないんですけど(多分されたんだろうなぁ)新明解国語辞典の記載事項で笑えるのはやっぱり『恋愛』(恋や愛も笑えます)やら『動物園』やら『小説』やらの項目だと思うのですけど、この辺はファンにとっては有名ですからね~。
 今回、番組で特に取り上げられていたのは食べ物関連と用例集でした。主幹の山田先生の自画自賛っぷりは素晴らしい(笑)やっぱり楽しいねー新明解。

 あと、個人的に気になった(いい意味で)のは方言のコーナー。九州の人は福岡人であるタモリさんだけでしたけど、方言講座で取り上げられたのは鹿児島。あおりは生まれと育ちが熊本なので(今の在所は違いますが)九州の言葉であるタモリさんの博多弁やテーマだった鹿児島弁には自然と親近感が湧きます。やっぱりある程度は似てるんですよね、地域柄。
 鹿児島弁は熊本より更に南国方面にあるので熊本弁に比べると少しあったかく、穏やかに感じました。博多弁はやはり多少なりとも都会の雰囲気がします。丁度両県の間に位置する熊本の人間として見ると、熊本弁は根っからの方言っぽさと独特の荒っぽさが混じった両者の中間みたいな言葉なんだなぁと実感。
 以前の『方言』のエントリでも書きましたけど、あおりはやっぱり熊本弁が好きです(笑)

 最近は方言流行りみたいで、番組でも渋谷の女子高生の間で方言を使うのが流行っているという出だしでしたが、印象で何となくそれっぽく使うのじゃなくて、どうせ使うならキチっと勉強して使ってくれると嬉しいなぁと思います。
 やっぱりそのお国の人にとっては方言は大事なお国言葉。興味本位や「それっぽさ」程度で軽々しく使いまわされるとあまり気分のいいものじゃありませんから。確かにある程度の印象だけでマネできる部分というのはあるでしょうけどね。男用の言葉遣いがあって女用の言葉遣いもあって、奥がとても深いものでしょうから、方言にしろ標準語にしろ、言葉ってのは。
 日本語を大事にする、という意識そのものが、方言に興味を持ったり、あるいはそれを大事にするという意識から生まれてくるとしたら、昨今のこういった風潮はいいことなのかもしれませんけどね。よりいい方に進んで欲しいなぁと思います。
 
ペン型電子辞書


 先日出かけた時、フと手に取ったOA関係のチラシを眺めていたら載っていたスゴイもの。なぞるだけで和訳してくれるお手軽なペン型電子辞書です。
 ここまでIT文具は進化したのか……と溜息が出ました。光学読み取り式だそうです。上の画像から販売しているサイトのページに行くことが出来ますので、気になる方はどうぞ。

 この読み取り式電子辞書、なんとまぁ熟語まで認識してくれるお利巧さんみたいで、しかも入っている辞書はジーニアス。その分お値段も高いですが、普通の電子辞書でも天才辞書が入ってると無条件で値段が上がるのでしょうがないですね。
 このシリーズ、クイックステーショナリーというらしいですが、英和だけでなく英英も入ってるバージョンがあって、3000円ほどお高いようです。でもこっちに入っている英和は会社のオリジナルのようで、ジーニアスじゃないみたいです。

 ちょっと前の記事でも書きましたが、あおりは元々紙の辞書派なので電子辞書も持っていますが、今までの用途は殆ど時間短縮とか手間省きで、真剣に語学のために使うのは専ら紙の辞書だったので、こういうのを発見したからといって飛びつくわけではないのですけど、便利な世の中になったもんだなぁと正直に思います。
 尤も、これが言語学習に関していい影響ばかりを与えるとも思っていませんけれども。やっぱり字引を使うというのも大事なことがあるんじゃないかなぁと思います。何でも楽をすればいいというものじゃありませんよね。

 紙の辞書の使い方を知らないと、電子になったって使い方は分からないものだと思います。以前勤めていた塾の生徒がそうだったんですが。
 辞書というのはどういう構成になっていて、どこに何が書いてあって、どういう決まりによって意味や用法が紹介されているのかを理解しないといけませんしね。語学というのは単純に第一義さえ分かればいいというものじゃないでしょうし、そういう意味でも辞書を使うということは、ぎっしりと書かれている文字群の中から重要な情報を自分で探し出す訓練にもなっているんだと思います。

 そんなあおりは国語辞典では新明解国語辞典が大好きです。単に読み物として好きです。辞書として使うのは広辞苑の方が使用頻度が高いですが、フとしたときに新明解ではどう紹介されているのかを知りたくなります。
 辞書を読むというのも中々面白いですよ。
 一休さんです。今夜のトリビアでやっていたアレです。
 「お受験教育を受けている子どもに『このはしわたるべからず』というとんちを解かせて、一休さんと同じように橋の真ん中を歩いて解決するのは100人中……」という調査(最早トリビアの種は面白調査になっていると思う今日この頃)
 結果は見事に

 100人中0人

 という潔い結果になったわけですが(ここまで来るといっそキモチイイ結果ですよね)見てるこっちとしては、誰か一人くらい、あの話のエピソードを知ってて解決する子が居てもいいんじゃないかなぁと思っていたんですけれど、可愛らしい解決法を出した子こそ居れ、まんまの答えを出した子は居ませんでしたね。
 ハイハイして渡ったり、見事に「石橋を叩いて」ならぬ「石橋に石を投げて調べて」渡ったり、後ろ向きに渡ったり、可愛いカワイイ(^^)5歳とか6歳とかの子達、男女取り混ぜだったんですけれども、何と言うか、お受験もまぁ、止めはしないけども……という気分になった瞬間もチラホラ。
 「(分からなかったのが悔しいから)もう一回やりたい」と連呼して泣き出したり「ママ、ゴメンね……」と泣く子どもの気持ちが分かって辛いのと、そういうのを傍から見てなきゃいけないのが辛い。(ああいうときの子ども本人は、正直今すぐ死んでしまいたい気分なのよ、マジで。もうね自分に生きてる価値を感じないくらいなのよ、イヤホントの話)
 そんな気持ち、なる必要なんかないでしょ?5歳や6歳の子が。なっちゃってるのを傍から見ていたくないでしょ?子どもに必要ないじゃない。そんなの。

 あおりは小学校受験も幼稚園受験もしたことないけど、中学受験ならしたことあるし、色々事情があって公立中に行ったけど、あおりはその公立中が好きだったし、別に公立中に行ったからって行きたい高校に行けなくなったなんてことはなかったし、行きたい高校に行けて楽しい3年間を送ったけど、中学受験の時の親の不気味な熱心さを見て正直引いたものです。

 カメラの前で必死に泣くような我が子を見たり、「何で渡らなかったの?」なんて言うのがイヤなら、勉強よりも絵本読んでやりなさいよ。昔ばなしくらい本がなくても話せるでしょう。話せない?……親も勉強しなさい、童話くらい。デ○○ニーのCGアニメに任せる前に直に読んでやりなさいよ。

 あまり詳しい記憶はないけれど、あおりは確か小学校上がる前にはひらがなは少なくとも読めていましたよ。別に教育されたなんてことはないです、受験とかも関係なかったから。必要があったんです。文字や言葉を読めたり見て分かったり聞いて分かったりする必要があったからです。
 何故にって、昔ばなしが大好きでしたからね。TVで放送されていた『まんが日本昔ばなし』を1,2歳の頃から愛好していましたし、タイトル画面に出てくる文字が読めなかったり語られる言葉が分からなかったら面白くないじゃないですか。繰り返し見て聞いて、タイトルをビデオのラベルに新聞から書き写してくれる祖父にひっついて「字のおけいこ遊び」に興じて、何回も何十回も見て覚えていくんですよ。それで「物語って面白いなぁ」になっていくんですよ。
 色んな御伽噺を覚えたのもその頃、勿論『一休さん』も例外でなく。
 絵本はあまり買ってもらえませんでしたが図鑑を絵本代わりに(だってフルカラー!絵がいっぱい!)外に出かけていって草を眺めたり名前を覚えたりしてました。覚えていくと楽しいもんなんですよ、文字にしても言葉にしても。

 あおりは伝説的な計算ミスの女王で、脳みその病気を疑われるくらい計算モノは苦手でしたけれども、言葉に関してはそうやって敏感になっていたような気がします。


 何も、マイナーな一休さんのエピソードまで知っておけとは言いませんけれども、水あめの話と虎の屏風の話と今回の橋のエピソードくらいは今成人してるくらいの日本人だったら大抵は知ってると思いますし、お話してあげることくらい出来るんじゃないんでしょうか。
 早期教育やら幼児教育も色々やり方や論争はあるでしょうけれど、その「お話」くらいの作業も出来ないくらい忙しいですか?それほど親になる世代が怠慢になってしまいましたか?
 洗濯物たたみながらでもメシ作りながらでも口動かすくらい出来るでしょう。子どもって喜びますよ?お話してくれるってだけでもすごく。

 やってあげたらどうですか?
 5分や10分で済みましょーや。

 小さいときから英語仕込むのも止めはしませんけれど、そんなご家庭に一つだけツッコんでおきたいこと。
 ご存知ですか?

 バイリンガルやトライリンガルというのは、2つ以上の言語を母語として操るため、特に2つの内1つが日本語である場合、文法構造などの違いから、それぞれを完璧に使いこなすため、脳の使用量を分割してしまっていることを
 要するに、日本語用に半分、英語用に半分といった具合に。
 これがどういうことか分かりますか?
 そうやって成人になったとき、どちらの言語も完璧に使えるようでいて、日本語だけを使う人に比べて、日本語のために使える脳の量は半分ということです。

 これが重大かどうかを考えるのは人それぞれですが、バイリンガルだからといって、各々の言葉に脳みそ100%の思考力を使っていると思ってはいけません。人間の脳はそう有能ではありません。
 考える言葉の世界が増えれば、使える量は減るのです。

 少なくともあおりは、50%の日本語能力で成長し、生活する大人よりも、100%の日本語能力で精一杯日本語を美しく使う日本人の大人になりたいと思っておりますです。
 あおりは元々英語は苦手です。中学まではそんな意識すらなく、殆ど考えもしないまま、テストだけは解くという程度の教科だったのですが、高校に入ってサッパリ分からなくなり、一時期アルファベット恐怖症に陥っていたくらいダメな教科でした。
 予備校に入って、自分に合う先生と出会えたのがきっかけで今ではさほどダメダメでもなくなりましたが、好きか嫌いかと言われれば好きではないのが正直なところ。何がダメって単語を覚えられないのです、この頭は。
 文法なんかに関しては、その先生のおかげで落ち着いて考えれば長文も読めるんですが、文法のみの問題になるとちょっと苦手。あれも一応「覚える」系ですしね。長文読解は経験則とか言語感覚の問題にもなるんですけど、純粋な文法問題はそうもいかなくて。

 いえ、話はそういうことでなく(前振り長いよ)
 そんなあおりが迫っている院の試験のためにスロースターターぶりを発揮して漸く目の前の英語に取り組んでいるわけなのですが、しばらく英語から離れていたのと、電子辞書をずっと使っていたせいで単語が抜けてる抜けてる……恐ろしいくらいに頭から消えていました。
 予備校のその先生の名言というか口癖に「書き込めない辞書に意味はない」というのがあり、電子辞書大嫌いな先生だったのですが、あおりもどっちかというと電子辞書は苦手です。便利は便利なんですけどね。やっぱ辞書は紙がイイです。

 書き込める、線が引ける、何より自分の手でめくって探すわけですから、どんどん勘がついていってスピードは上がるし、1ページにイロイロ書いてあるのでスクロールしなくても目で意味が探せます。そして時々チラっと関係ない場所を見つけて「へぇ~!」な単語や意味を見つけたり(笑)
 抜け落ちてる単語は、その辞書を使っていた時代から苦手だったものも多いのか、調べると既に線が引いてあるものも多々。使ってたころもこの単語で苦労したんだなぁというのが見えてきて懐かしくなりました。そして欄外にチョチョっと構文とかが書き足してあるのも発見。
 あおりが使っている辞書はカレッジ。かなり古いものです。高校の時、あまりに英語が分からないので親が予備校に行っていたころの英語の御大の家へ通って英語を習っていたことがあるのですが、その先生から直々に進呈された大事な辞書なのです(^^)

 当時、あおりの高校の同級生は学校指定の辞書を入学時に買っていたので殆どがジーニアスだったのですが、あおりは親がアンカーを強く勧めたのでそれを買いました。辞書が違うと、学校側はちょっとやりにくかったらしく(同じなら、皆調べろーっつって同じページだから教えてあげたりできますしね)あおりを初め、カレッジやアンカーやライトハウスなど、ジーニアス以外の辞書ユーザーは色々苦労しました。
 予備校に入ってからも、ジーニアスユーザーが大多数だったので、その英語の先生も授業中、意味を調べろと言って「あ、ここですね」と指示するとき「天才辞書だと……」と言うのが口癖でした(笑)ジーニアス(genius)=天才、なので。ちなみにその先生はライトハウスユーザーでした。英作文するにはジーニアスよりも適しているんだとか。

 あおりは今も昔も英和、和英ともにカレッジ。中学の頃はアンカーを見ていたこともありましたし、高校入学の時に買ったのがアンカーだったので英和・和英両方持っていますが、使っているのはカレッジ。

 久々に紙辞書を使ってみて、未だに辞書を引くスピードは衰えていないな、とちょっと嬉しくもなったり。国語辞典にしても英語にしても、割と辞書を使うことが多い辞書好きなあおり、やっぱり辞書をパラパラめくるのってイイもんです。
 それに、手と目を使って例文見ながら考えて……とやった方があおりは単語をよく覚えます。

 最近は辞書の使い方を知らない青少年が増えているみたいですが、電子機器で便利にお手軽にやるだけが語学じゃないぞ、諸君。辞書はイイよ。紙辞書を使ってみたまへ。そして選びたまへ。自分のお気に入りの辞書があるって、イイものだと思うですよ。

 別の日記系サイトで教科書ラブなコミュニティを覗いていたら素敵なアドレスが貼ってあったのでクリックして猛烈な物欲に見舞われてます、あおりです。

 光村図書

 ここ↑のページの中ほどに、光村図書の国語の教科書(昭和46年度~平成12年度)に収録された教材をまとめて本にしてくれてる商品の紹介があるんですけど、

す、すっげぇ欲しい……!( ☆□☆)

懐かしの国語教材のイイトコ取りのラインナップがセットですよ!勿論絵本を探したりするのも楽しいですし、是非とも絵本単体で欲しいという作品も沢山ありますけども、教科書エディションというのも中々素敵です。何より、子どもにどういう絵本(本)を買ってあげたらいいかなぁと悩む親御さんにとってはいいカタログというか、基準材料になるんじゃないでしょうか。
 やっぱり声に出して何人かで読むのが楽しい話とかありますし、沢山の詩の中から厳選してあるのが載ってるわけですから、とりあえず……なスタンダードナンバーだと思えばとてもありがたいものじゃないかと。

スイミー:小学校で最初に出会う壮大な物語でワクワクしました、これはホント名作。
くじらぐも:皆さんで声を出して、さんハイ!
アナトール、工場へ行く:ブルーチーズは最高。塩加減も大事
てぶくろをかいに:人間ってそんなに怖いかしら
ごんぎつね:ごん、お前だったのか……
大造じいさんとがん:おぅい、ガンの英雄よー!残雪(ガンの名前)はステキ。病気の癌じゃないですよ、鳥です。
一つの花:ひとつだけちょうだい、おにぎり
ちいちゃんのかげおくり:影送り、してください、夏の日に
白いぼうし:爽やかなファンタジー
赤い実はじけた:特大のパチン! 恋と名のつく前の淡い出来事
一本の鉛筆のむこうに:世界を知る手がかりに
小さな犬の小さな青い服:素敵なものは、皆に分ける
おおきなかぶ:うんとこしょ、どっこいしょ
はないっぱいになあれ:一度はやってみたい、優しいいたずら
つり橋わたれ:やーいやーい、つり橋わたれーっ
宇宙人の宿題:科学に目覚めてみましょう
守る、みんなの尾瀬を:環境問題にハマったあの頃……
ゆずり葉:そしたらこどもたちよ、もう一度ここへ来て、ゆずり葉を見る時がくるでしょう
いのち:生きていること、いま生きているということ
………………

私も読んだ!という作品がいっぱい載っていると思います。やっぱり国語の教科書はステキ。使い終わっても、読み物としてだけでも手元に残す価値がある、そんな教科書をこれからも学校では使っていってほしいと思います。
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