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れくてゅーる

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シラス



 これも絵を描いたのは5月だなぁ……(しみじみ)
 『ダ・ヴィンチ・コード』を映画見る前にほぼ一気読み状態で読んでハマった時に描いたシラス(のつもり)です。アルピノのピンク虹彩ってのはポイント高かったんですが、映画では割と普通の色でした。カラーコンタクトでもいいから虹彩はピンクにしてほしかったです。
 シラス、好きだったなぁ……。

 文学作品系しか元々あまり読まないんですが、この作品はフィクションとしても楽しめました。翻訳だけど読みやすくて耳にテンポよく響いてきましたし(私的に重要)

 いつだかの日記にも書きましたが、私は道教のファンなので、仏教もキリスト教も文学として親しんでいる感じ。なので『ダ・ヴィンチ・コード』も素直に楽しめました。日本人の特質の一つなのかもしれないですけど、こういう所はありがたいかなぁ(苦笑)
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 金曜から親の旅行に付き合って名古屋に出かけていましたが、その移動時間のお供にと序盤で読書が止まっていた京極夏彦の『狂骨の夢』(文庫版)を持っていきまして、残り600~700ページあったのを帰りの電車の時間で漸く読了。文庫で900ページとか、もうどうかしてる感じのページ数ですけど、京極の文庫版ではまだ薄い方。『姑獲鳥の夏』はもちょっと薄かったわけですし、『狂骨』にしたって文庫版収録の際のレイアウトの関係で300ページくらい加筆してるみたいですから(それって大元と別の話になってんじゃないかという感じもしてきますけどね(笑))

 京極堂シリーズは、最初の『姑獲鳥の夏』からしてもうあおりにとっては色々と地雷原になり得る作品で、『魍魎の匣』はそうでもなかったですけど、今回の『狂骨の夢』も地雷原ド真ん中(ある意味)今になって読んだから大丈夫だったものの、あとちょっと読む時期が早かったらヤバかったかもしれません。『姑獲鳥』はまぁ、その地雷を取り除くのは死ぬまで無理かもしれないので、直撃を喰らった時も、半ば諦めが入っていたのですけど、『狂骨』は何とか助かりました。
 何がどう地雷原かって「心理学」です。
 今更ネタバレもないだろうと思うので(だって発売されたの何年前よ)正直に書いちゃおうと思うのですけど、ヤな方も居るかもしれないので詳しくは追記に。
[『狂骨の夢』]の続きを読む
ハッピー・バースデー

高校の時、学年集会か何かでこの作品のアニメ映画を観たことを覚えています。他の生徒の前でもあったので何とか我慢しましたが、一人で見ていたら間違いなく泣いていたと思います。
 児童虐待というと、どうしても身体的なものとか家族構成のトラブルとか、そういう目に見えるものに行きそうですが、心理的・精神的虐待と言われる、いわば「親の方針」と丸められてしまえばそれで通りそうなことも立派にそれに入るんだというのを実感させられる作品です。
 あおりの場合、自分に重なりすぎてもう繰り返しは見られないかと思うのですが、でも名作だと思います。文字で読んだら尚のことではないかと。

 元は児童書で、子どもから親へ薦められ、親から教師へ薦められてどんどん感動の輪が広がっていったようです。これを子どもから薦められて感銘を受けて教師に薦めてくれるような親は素敵だなぁと思います。ウチの親はまずしませんな。「こんなの、わかりやすくよく書いてあるだけだよ、関係ないよ」と捨てそう(苦笑)

 主人公はあすかという少女。優等生のお兄ちゃんと2人兄妹。格別劣等生というわけでもないのだけれど、お兄ちゃんが優秀すぎていつも比べられる。ここまでだとありがちな設定に聞こえるけれど、でも、ありがちってことはそういう状況は結構あるってことですよ。他人事じゃないってことですよ。
 お兄ちゃんとの関係は、比べられるだけならまだいいのだけれど、お兄ちゃん自身も、知らず知らずのうちに自分が優秀だということを自覚していて、比べられることに慣れてしまっている。母親あ口癖のように「どうしてあすかはお兄ちゃんみたいじゃないのか」とぶちぶち言う。

 事件のきっかけは母親があすかの誕生日をすっかり忘れてしまっていたことだった。
「誕生日くらいは、お母さんも自分を祝福してくれる」
 高々誕生日だと思われるかもしれない。けれど、常日頃、自分の精一杯が母親にとっては賞賛に値するようなものでなくて、祝福されたり認められたりしないあすかにとって、当然のごとく自分の存在が認めてもらえる誕生日は待ち遠しいものだった。プレゼントが欲しかったわけじゃない、ケーキが欲しかったわけでもない。勿論、それらがあれば嬉しいけれど、でも、ただ、「誕生日くらい」と思っていた。
 けれどもいつまでたっても母親が仕事から帰ってこない。優等生の兄は塾。夜遅く、疲れて酔って帰ってきた母に兄が飲み物を出しながら
「今日、あすかの誕生日だよ」
と言うと
「……あぁ、そうだったのね」
と、今思い出したように呟く母。あすかが誕生日を意識していたことを兄も知っていたけれど、その場にあすかが居なかったこともあって母の「それどころじゃなかったわ」というような言い草に付き合ってしまう。
 けれどあすかは物陰からそれを見聞きしていた。
 翌日の朝、あすかは声が出なくなっていた。
 話も出来ない、声をあげて泣くこともできない。母のイライラは頂点に達し、さらにあすかを追い込んでしまう。見かねた兄が母の実家、祖父母の家へあすかを寄越す。田舎の自然に囲まれて気持ちを休めてはどうかと提案したからだ。
 そこであすかはのびのびと生活し、祖父母に愛されて色々なものを見て、触れて、次第に感情を取り戻していく。
 
 途中、あすかが母の実家に滞在して治療する中で、母の中の、おそらく母ですら自覚していなかったであろう鬱憤、不満を知る出来事が入って、幼いころから降り積もっていた母の中の疑問が、「自分には許されなかったのに」という形ではけ口を求めていたことにあすかが気付きます。
 「生まれた記念」に植えられた木と、植えられることのなかった「生まれた記念」。自分の「誕生日」と重なった感慨で、あすかはハっとした。

 以降はまぁ、どんどんよくなっていく過程で、上の記述は全てアニメバージョンのストーリーなのだけど、実際はここに近くの障害児童施設でくらす同い年の女の子との交流も描かれています。アニメの中で、その女の子は亡くなってしまうのだけど、あすかはそういったことを色々吸収して立ち直っていきます。
 実際の色んな事例に比べれば、確かに分かりやすくしてあるとは思います。典型例みたいにして。ウチにしたって、これくらい分かりやすいと対処のしようもあるのだろうけど、母に関して、どうしてそう思うようになったのかなんて分かりません。母がそういうことに無関心で、自分にあまり興味がない人なので、自分のことを深く振り返ったりしなかったのでしょう。

 あすかの母が「自分には許されなかったのに、あなたに許すわけないでしょう」という気持ちでぶつけていたあすかへの言葉は無自覚だったかもしれないし、あおりの母もそうでしょう。尤も、あおりの母と母の妹を比べてみても、あまり際立った事件や出来事というのは聞かないですが、ひょっとしたら何かあったのかもしれませんね。
 母方の祖母は、確かに教育熱心ではあったようですが、普通の主婦だったように思います。文字に関しては五月蝿かったみたいですが。「字だけは人並みに書けなさい」と、祖母の合格をもらう字を書けるまで、母と叔母は夕食にありつけなかったみたいですし(苦笑)そのおかげか、二人とも字は恐ろしく上手いです。亡くなった祖父はずっと学校の先生でしたから、教育に関しては関心高かったでしょうね。寡黙な口うるさいとは言えない人でしたが。

「それどころじゃなかったわ」
には、色々大人の事情もあることでしょう。でも許されることじゃないとあおりは思います。実際に言われた身としても。口に出していい言葉じゃないと思う。その瞬間まで、誕生日を祝ってくれるだろうとか、自分の味方だろうとか、心底信じていた子どもにしてみれば、耳を疑う言葉です。
 あおりはまだ、高校に入ってから聞いた言葉だったし、その頃は今のダンナも居たし、駆け込む場所もあったからまだよかったかもしれない。でもあすかは小学生。同じ頃のことを思い出してみると、割とその高校の時と状況は変わらなかったと思うけど、ショックはずっと大きかったですよ。

 こういう作品に出会うと、共感できて嬉しいと思う反面、胸はとことんまで痛く、苦しい。吐き出せない嗚咽で喉が痛い。告白しても通じない苛立ちと、どうしてどうしてというエンドレスの疑問符で頭が重くなってくる。
 今でも胸の奥が痛くなるのは、話は出来ても、完全に解決はしていない、そんな状況だからなんじゃないかと思う、今日この頃。

 割と有名な本ですから、児童書バージョンはご存知の方も多いと思いますが、ほしいな~という方はこちら↓から検索どぞ
























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……なんか、検索までが異様に離れてますが、お気になさらず(;=v=)
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